作家とのコラボレーションを基本とするオリジナル・リトグラフ版画工房。1987年から活動を始め、国内・海外の作家たちと数多くの作品を制作するとともに、リトグラフが持つ表現の可能性を作家との共同作業を通じて探る。

 

Itazu Litho-Grafik is a hand-printing lithographic workshop, specializing in limited edition of prints. Image is directly drawn with grease-materials such as crayons and litho-pencil by artists on the aluminum plate or stones. Each impression is pulled on the hand-press. The shop started its operation in 1987, and has been collaborating with artists.  Each print is signed and numbered by the artist.

 

リトグラフ (石版画)

リトグラフは木版、銅販、シルクスクリーンと並ぶ版画技法のひとつ。リトグラフの基本原理は水と油の反発。1790年代後半にアロイス・ゼネフェルダーがドイツで発明し、1800年代前半にヨーロッパ全土に広まり印刷技術に画期的な発展をもたらした。

ドイツ南部で採れる石灰石の石版に油性分を含んだ描画材(クレヨンなど)で絵を描き、石版の表面全体に硝酸を加えたアラビアゴムを塗ると、絵の描か れた部分と描かれていない部分それぞれに異なる化学反応が生じる。その結果、絵の描いてある部分が親油性、描いてない部分が親水性となる。石版の表面を水 で湿しながら油性インクのついたローラーを転がすと、絵のない部分には水分があるため油性インクを反発するが、絵の部分は親油性のためインクが付着する。 この版上のインクをプレス機を使い紙に転写する。版上には凸凹は無く平面。その後、亜鉛版、アルミ版が開発された。また、感光材を版面に塗り露光する写真 製版と機械化された輪転機が開発され現在のオフセット印刷に到る。

What Is a Print? (MoMAの版画各種の動画解説, Lithographyを選んで矢印を押して下さい)

リトグラフ発明以前の絵画の印刷で主流だった木版画と銅版画は、版を作り上げるのに高度の技術が必要とされた。一方、リトグラフでは版を描くのには 特別な技術は必要なくクレヨンで紙に描く時とほぼ同様に石版に絵を描くことができた。1920年代ロンドン、パリにリトグラフ工房が数多く設立され、初め はボニントンたちロマン派の風景画や博物図譜の印刷に用いられたが、にゴヤ、ドラクロワたちが石版に絵を描きリトグラフ制作をすると、次第に多くのアーチストの表現手段となり、ドーミエ、マネ、ルドン、ボナール、ロートレック、ブラック、マチス、ピカソ、ミロ、シャガールたちがリトグラフを芸術に高める。

1724年の写真の発明とその後の写真技術の進歩、1903年のオフセット印刷機の開発により従来のリトグラフ印刷の需要が激減し、一部の工房は生き残りのため作家のためにリトグラフを制作する美術専門工房(ムルロ工房など)になる。しかし、その衰退の傾向は1950年代まで続き、かつての高品質のリトグラフを刷る工房はわずかな数になってしまった。

1960年頃二人のアメリカ人女性がほぼ同時にリトグラフの復興に大きく関わることになる。作家のジューン・ウェインはアメリカ国内に刷り職人を養成する工房が必要と考え、フォード財団から助成を受けLAにタマリンド工房を設立、プリンター養成とリトグラフの普及に努めた。また、NYではタチアナ・グロスマンが郊外の自宅ガレージにプレスを設置しU L A Eを 始め署名な作家の集まる工房となる。この二つの工房はそれぞれ当時活躍する J・アルバース、J・ジョンズ、R・ラウシェンバーグら多くの作家を招き自由な発想でリトグラフを制作させ、アメリカ美術界に大きな影響を与えた。 1960年代以降アメリカでは各地に数多くの版画工房が設立され多くのすばらしいリトグラフが制作され続けている。

リトグラフが発明された時期、日本では歌麿、写楽、北斎が活躍し独自の浮世絵文化が満開だった。
そ の後開国した日本へは西洋のあらゆるものが押寄せ、リトグラフプレスと石版も船で運び込まれた。実際にリトグラフが制作されたのは1875年(明治8年) 頃になってからで、官・民の印刷所で刷られたリトグラフは主に美人画、皇室肖像画、戦争画だった。1930年代になって織田一磨、ブブノワらが美術作品と してのリトグラフを制作する。50年代までリトグラフは一般印刷として各都市の印刷会社で石版を用いて刷られていたが、その後ヨーロッパでの傾向と同様に オフセット印刷へと移り石版は廃棄された。女屋勘左衛門はこの時期に作家たちとリトグラフの制作する工房の先駆けだった。
1960年代になって美術大学に版画コースが開設されたためリトグラフを刷る作家人口は徐々に増えた。また、アメリカでのリトグラフ復興とアメリカ現代美 術の影響もあり作家と共同作業でオリジナル作品を制作する工房が開設し、この時期にはリトグラフだけでなく銅版画・シルクスクリーンの優れた工房も出現する。